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地方公共団体・全国地方自治体一覧 - 地域広報サービス

日本全国の地方公共団体・地方自治体一覧。
全国の基礎自治体・広域自治体と特別地方公共団体(広域連合組織・広域行政組合などの広域行政機関)の一覧と所在・地図、並びに各地方公共団体の概要、及び各地域の生活・ビジネス情報など。

地方公共団体の各ページへは、左列の「都道府県メニュー」または「サイトマップ」での各地方公共団体一覧をご利用下さい。

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日本の地理

日本の総人口:127,767,994人(「国勢調査」平成17年10月1日)
日本の総面積:377,946.51km2(「国土地理院」平成21年)
※利用内訳(「総務省統計局」平成19年)
森林:66.4%/農用地:12.5%/宅地:4.9%/道路:3.5%/水面・河川・水路:3.5%/その他:9.1%

日本の海岸線:33,889km(海上保安庁)
日本の最東端:南鳥島(東京都)
日本の最西端:与那国島(沖縄県)
日本の最南端:沖ノ鳥島(東京都)
日本の最北端:択捉島(北海道)

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青森県青森市【地方公共団体・地方自治体】

青森市 (地方公共団体・全国の地方自治体)

このページは、青森県青森市の紹介です。

青森県青森市のホームページ

青森市 概要・地域の情報やトピック

青森市

青森市(あおもりし)は、青森県の中央部に位置する市である。津軽地方・東青地域に属する。同県の県庁所在地であり、中核市に指定されている。青森湾に臨む交通の要地。中心市街は江戸初期に建設された港町に由来。三内丸山遺跡や青森ねぶた祭が知られる。 地理 本州最北の県である青森県のほぼ中央に位置する。県の西半部を指す津軽地方にあっては北東部に位置し、東津軽郡の町村と東青地域を構成する。青森平野を中心とし、北は陸奥湾の支湾である青森湾に面し、南部から東部にかけては奥羽山脈の北端部にあたる八甲田山・東岳山地の山が連なり、西部で市域は津軽半島の脊梁山脈である梵珠山地や津軽平野に広がる。市街地は青森湾沿いの中心市街地から青森平野上を扇状に展開しており、行政都市・商業都市・交通都市・港湾都市の性格を有する。 東北地方を縦貫する路線および本州と北海道をつなぐ路線の結節点であり、日本国内の交通・物流における要衝である。西の津軽半島と東の夏泊半島に抱かれた青森湾奥に青森港があり、函館港との青函航路をフェリーが運航している。

creative commons(wikipedia:青森市

青森市営バス

青森市営バス(あおもりしえいバス)は青森県青森市の青森市企業局交通部が営業する公営バスである。青森市内全域に乗合路線を運行する。 乗合馬車を経営していた篠原善次郎が1923年(大正12年)に青森市営による乗合自動車事業を立案し、乗合自動車5台を寄付するという提案をしたが、採算が取れないとして受け入れられず、篠原は自費にて1924年(大正13年)春より青森駅 - 合浦公園間の営業運行を開始した。当時、青森市では市営電車事業が計画されていたが、冬期間の積雪では採算性が取れないことから断念し、市営乗合自動車事業が検討された。ここで篠原は車両6台と運営資金1万5千円(新車2台と車庫建設などの費用)を寄付、青森市交通部事務所・車庫を青森市大字大野字長島に置いて青森市営バスが発足する。これは東京都交通局に次いで日本で2番目に設立された公営バスでもある。発足当初は3路線だったバス路線は町村合併により路線網が拡大される。1939年(昭和14年)には油川町との合併を踏まえて青森乗合自動車会社より油川地区の2路線を買収している。

creative commons(wikipedia:青森市営バス

青森市の遺跡一覧

青森市の遺跡一覧
青森市にある現在までに発掘されている遺跡のほとんどは平安時代を主体とするものである。時代に関しては相当な遺跡が複数の時代にまたがった遺跡であるため、一応の目安であり、実際にはその時代に特定されるものではない。青森市では続縄文文化の影響が強く、はっきりと弥生時代と分かる遺跡は非常に少ない。また、特に注記がない場合は合併前の青森市にあるものであったことを意味する。
アイウエオ順に並べる。
赤坂遺跡…縄文時代と平安時代の遺跡である。土師器や須恵器が見つかっている。
旭遺跡…旧浪岡町にある平安時代の遺跡である。
朝日山遺跡…縄文時代晩期から中世にかけての遺跡。雪ゾリや擦文土器が見つかっている。

creative commons(wikipedia:青森市の遺跡一覧

青森市立筒井中学校

青森市立筒井中学校(あおもりしりつ つついちゅうがっこう)は、青森県青森市桜川にある公立中学校。 青森市立佃中学校、青森市立造道中学校と共に、中学校校内LAN整備事業モデル校である。 学区が青森市の南の方まで広がっている事もあり、現在一部(青森市立幸畑小学校出身)の生徒にのみ自転車通学が認められている。 沿革 1947年4月21日、東津軽郡下の「筒井村浜館村組合立中学校」として、八甲田山雪中行軍で有名な陸軍歩兵第五連隊跡に設立される。兵舎がそのまま校舎に利用される。 1952年、筒井村が町制を敷き筒井町となったことに伴い、「筒井町浜館村組合立中学校」となる。 昭和の大合併により、1955年1月1日に新生の青森市が誕生。青森市立筒井中学校となる。 校歌制定。 田代平分校閉鎖。田代平少年の家になる。 1978年、新校舎完成。柔道場、剣道場はそのまま残る。 2016年、諸事情により、制服の名札(冬服の時)が糸で縫ってつける方式から、クリップ式へと、方式が変更。 伝統 校歌は4番まであるが、普段は1番と4番しか歌わない。

creative commons(wikipedia:青森市立筒井中学校

青森市内のバス事情

青森市内のバス事情(あおもりしないのバスじじょう)では、青森県青森市におけるバス事業者間の関係について説明する。
青森市営バスと競合事業者のバス路線の一部停留所では、競合相手の事業者での停留所の名称などが異なっていることがある。 先方:市営=後方:競合事業者の停留所名
新町一丁目(中三前)=青森中三前(弘南)
古川(5番のりば)=古川二丁目(弘南)
県庁通り=県庁通(十鉄)
合浦公園前(国道・青森駅方面)=合浦公園口(下交)
後萢通り=後萢通(十鉄・下交)
浅虫温泉駅通り=浅虫温泉(下交)
農協会館前=青森大野(高速バス)
青森朝日放送前=朝日放送局前(JR)

creative commons(wikipedia:青森市内のバス事情

青森市立筒井小学校

青森市立筒井小学校(あおもりしりつつついしょうがっこう)は、青森県青森市筒井一丁目にある公立小学校。荒川に面した場所にある。 かつては市内でも児童数が最大規模の小学校だった。最も児童が多かったのは1980年(昭和55年)であり、男子704人、女子707人の計1411人が在籍していた。青森市立幸畑小学校や青森市立筒井南小学校が創立されたことなどもあり、現在は1学年3クラスの小学校である。それでも600人以上の児童を有しており市内では10位以内には入っている。1998年(平成10年)頃には2クラスの学年が現れるなど少子化の影響が危惧されたが、その後持ち直し4クラスの学年が復活するなど近年人数の減少には歯止めがかかりつつある。進学先はほぼ全員が筒井中学校である。少し家などを挟むが交差点を挟んで向かいには青森高校がある。 校歌の作詞者は青森県第三中学校(青森高校の前身)勤務の中里忠香で、作曲者の方は不明だが釜萢善作という説がある。制作された年は、資料が存在せず証拠が無いため不明である。 校章の制作された経緯の詳細は不明。アイデア自体は古く、大正期には既に「蛍雪の功」を図案化したものとなっていたとされるが、原図が存在しないためデザインが何度も変わった。

creative commons(wikipedia:青森市立筒井小学校

青森市営バス西部営業所

青森市営バス西部営業所(あおもりしえいバスせいぶえいぎょうしょ)は、青森県青森市大字新城にある青森市営バスの営業所である。 なお、本稿では廃止された油川営業所、蟹田営業所、三厩分所、上磯営業所についても記載する。 沿革 1962年11月1日 - 青森市大字新城字平岡163番地に開設、運輸開始。 1985年4月8日 - 現在地に移転。 1990年4月1日 - 油川営業所廃止に伴い、後潟線を受け持つようになる。 所管路線 本線 東部営業所と共管(原別経由を除く)。また東部営業所担当の一部便が弘南バス委託。 新城線 東部営業所と共管。また東部営業所担当の一部便が弘南バス委託。 石江経由:東部営業所 - 原別 - 県立中央病院前 - 南造道 - 合浦公園前 - 堤橋 - 古川 - 西上古川 - 西滝 - 石江 - (新青森駅南口) - 西高校前 - 新城駅前 - 天狗立 - 西部営業所 新町経由:東部営業所 - 原別 - 県立中央病院前 - 南造道 - 合浦公園前 - 堤橋 - 新町二丁目 - 古川 - 西上古川 - 西滝 - 石江 - (新青森駅南口) - 西高校前 - 新城駅前 - 天狗立 - 西部営業所 緑ヶ丘団地経由:東部営業所 - 原別 - 県立中央病院前 - 南造道 - 合浦公園前 - 堤橋 - 古川 - 西上古川 - 西滝 - 石江 - (新青森駅南口)- 西高校前 - 新城駅前 - 緑ヶ丘団地 - 西部営業所 東バイパス経由:東部営業所 - 後萢通り - 県立中央病院通り - 南造道 - 合浦公園前 - 堤橋 - 古川 - 西上古川 - 西滝 - 石江 -(新青森駅南口) - 西高校前 - 新城駅前 - 天狗立 - 西部営業所 岡部経由:(青森駅 - )古川 - (西滝/西部営業所行のみ) - 西郵便局前 - ガーラタウン前 - 岡部 - 石江 - 西高校前 - 新城駅前 - 天狗立 - 西部営業所 急行バス(停車停留所表記): - 古川 - 市役所前 - NTT青森支店前 - 堤橋 - 栄町二丁目 - 合浦公園前 - (急行運行区間は国道走行区間となる)※東部営業所が担当 1947年6月22日 - 西滝 - 新城駅間路線を延長し、新城線運行開始。

creative commons(wikipedia:青森市営バス西部営業所

青森市地区一覧

青森市地区一覧では青森県青森市の地区を記す。 旧青森市域 住居表示整備済み 青葉(あおば) 青柳(あおやぎ) 赤坂(あかさか) 旭町(あさひちょう) 岡造道(おかつくりみち) 沖館(おきだて) 奥野(おくの) 卸町(おろしまち) 勝田(かつた) 金沢(かなざわ) 合浦(がっぽ) 桂木(かつらぎ) 北金沢(きたかなざわ) 久須志(くすし) けやき 幸畑(こうばた) 小柳(こやなぎ) 栄町(さかえまち) 桜川(さくらがわ) 里見(さとみ) 篠田(しのだ) 自由ケ丘(じゆうがおか) 新町(しんまち) 千刈(せんがり) 千富町(せんとみちょう) 第二問屋町(だいにとんやまち) 茶屋町(ちゃやまち) 中央(ちゅうおう) 月見野(つきみの) 佃(つくだ) 造道(つくりみち) 筒井(つつい) 堤町(つつみまち) 富田(とみた) 問屋町(とんやまち) 長島(ながしま) 中佃(なかつくだ) 浪打(なみうち) 浪館前田(なみだてまえだ) 新田(にった) 虹ケ丘(にじがおか) 西滝(にしたき) 橋本(はしもと) 花園(はなぞの) 浜田(はまだ) 浜館(はまだて) はまなす 原別(はらべつ) 東大野(ひがしおおの) 東造道(ひがしつくりみち) 古川(ふるかわ) 古館(ふるだて) 蛍沢(ほたるざわ) 本町(ほんちょう) 松原(まつばら) 松森(まつもり) 緑(みどり) 港町(みなとまち) 南佃(みなみつくだ) 妙見(みょうけん) 三好(みよし) 本泉(もといずみ) 八重田(やえだ) 矢作(やさく) 安方(やすかた) 柳川(やながわ) 住居表示未実施 大字浅虫 大字飛鳥 大字油川 大字荒川 大字石江 大字泉野 大字岩渡 大字牛館 大字後潟 大字後萢 大字内真部 大字浦町 大字上野 大字大谷 大字大野 大字大別内 大字大矢沢 大字岡町 大字沖館 大字奥内 大字小畑沢 大字金浜 大字久栗坂 大字桑原 大字幸畑 大字小館 大字小橋 大字駒込 大字小柳 大字合子沢 大字沢山 大字三内 大字三本木 大字四戸橋 大字清水 大字新城 大字新町野 大字諏訪沢 大字瀬戸子 大字平新田 大字高田 大字滝沢 大字田茂木野 大字田屋敷 大字築木館 大字造道 大字筒井 大字鶴ヶ坂 大字戸門 大字戸崎 大字戸山 大字浪館 大字新田 大字西滝 大字西田沢 大字入内 大字野木 大字野沢 大字野尻 大字野内 大字羽白 大字浜田 大字浜館 大字原別 大字左堰 大字古館 大字細越 大字前田 大字孫内 大字松森 大字馬屋尻 大字宮田 大字雲谷 大字八重田 大字安田 大字矢田 大字矢田前 大字八ツ役 大字八幡林 大字横内 大字四ツ石 大字六枚橋 旧浪岡町域 浪岡福田 浪岡大字相沢 浪岡大字王余魚沢 浪岡大字北中野 浪岡大字吉内 浪岡大字郷山前 浪岡大字五本松 浪岡大字下石川 浪岡大字下十川 浪岡大字銀 浪岡大字杉沢 浪岡大字大釈迦 浪岡大字高屋敷 浪岡大字樽沢 浪岡大字徳才子 浪岡大字長沼 浪岡大字浪岡 浪岡大字細野 浪岡大字本郷 浪岡大字増館 浪岡大字女鹿沢 浪岡大字吉野田。

creative commons(wikipedia:青森市地区一覧

青森市立橋本小学校

青森市立橋本小学校(あおもりしりつ はしもとしょうがっこう)は、青森県青森市橋本一丁目にある公立小学校。 隣り合うように青森銀行本店がある。前の通りでは毎年青森ねぶた祭りが行われている。青森ねぶた祭りが校門の前で行われている学校はここ一つである。 基本的に進学先は南中学校か浦町中学校である。 沿革 1877年(明治10年)5月25日 - 創立。 1973年(昭和48年) - 現校舎設立。 学区 本町1丁目、本町2丁目の一部、本町3丁目の一部、本町4丁目、本町5丁目。橋本1、2丁目。堤町1丁目の一部、堤町2丁目の一部。中央1丁目の一部。 出身著名人 寺山修司(1942年4月入学~1944年籍を移す) 関連項目 橋本小学校統廃合問題。

creative commons(wikipedia:青森市立橋本小学校

青森市文化会館

名称 青森市文化会館Aomori Civic Cultural Hall
通称 文化会館
正式名称 青森市文化会館
完成年 1982
完成月
完成日
開館年 1982
開館月
開館日
開館公演
収容人数 2,031
客席 2,031席 1階 1,095席、2階 936席、車椅子対応 25席
延床面積
設備 ホール、楽屋、リハーサル室、会議室
用途 コンサート、講演、集会等
運営 青森県青森市
所在地 青森県青森市堤町1-4-1
アクセス 東日本旅客鉄道 JR青森駅下車

creative commons(wikipedia:青森市文化会館

青森市歴史民俗展示館 稽古館

青森市歴史民俗展示館 稽古館(あおもりしれきしみんぞくてんじかん けいこかん)とは、青森県青森市浜田玉川にあった歴史民俗系の博物館であるが、2006年(平成18年)1月31日に閉館した。地域の生活や民俗文化を展示することを主眼にしていた。青森市民の間では「稽古館」と呼ばれていた。 雪国の暮らし、生活用具、仕事用具、津軽のこぎんざし、南部菱刺、津軽塗、民間信仰、アイヌの文様・工芸などに特徴がある。民具、民芸に関する展示は全国的に見ても充実している部類に入っており、アイヌのタマサイなどのコレクションは北海道以外では最も優れた質量を誇っていた。稽古館にかかわりのある人物のひとりで、館長を務めた在野の民具研究家田中忠三郎は柳宗悦らの民藝運動の流れを汲んでいる。また、三内丸山遺跡出土品をはじめとする青森市の埋蔵文化財の展示室、そして青森空襲と戦後の復興についての展示室もあるなど、約1万6000点の資料が収蔵されていたが、2006年1月31日を以て閉館された。

creative commons(wikipedia:青森市歴史民俗展示館 稽古館

青森市歴史民俗展示館

『青森市歴史民俗展示館 稽古館』より : 青森市歴史民俗展示館 稽古館(あおもりしれきしみんぞくてんじかん けいこかん)とは、青森県青森市浜田玉川にあった歴史民俗系の博物館であるが、2006年(平成18年)1月31日に閉館した。地域の生活や民俗文化を展示することを主眼にしていた。青森市民の間では「稽古館」と呼ばれていた。 雪国の暮らし、生活用具、仕事用具、津軽のこぎんざし、南部菱刺、津軽塗、民間信仰、アイヌの文様・工芸などに特徴がある。民具、民芸に関する展示は全国的に見ても充実している部類に入っており、アイヌのタマサイなどのコレクションは北海道以外では最も優れた質量を誇っていた。稽古館にかかわりのある人物のひとりで、館長を務めた在野の民具研究家田中忠三郎は柳宗悦らの民藝運動の流れを汲んでいる。また、三内丸山遺跡出土品をはじめとする青森市の埋蔵文化財の展示室、そして青森空襲と戦後の復興についての展示室もあるなど、約1万6000点の資料が収蔵されていたが、2006年1月31日を以て閉館された。

creative commons(wikipedia:青森市歴史民俗展示館

青森市立王余魚沢小学校

青森市立王余魚沢小学校(あおもりしりつ かれいざわしょうがっこう)は、かつて青森県青森市浪岡町王余魚沢字王余魚沢にあった公立小学校。 児童数の減少により、浪岡町の小学校であった平成16年の時点で事実上廃校している。分校に浪岡町立王余魚沢小学校水ヶ沢分校があった。現在、跡地にはカフェ『王余魚沢倶楽部』が入居している他、王余魚沢夏祭りが地域住民によって開かれている。 沿革 1885年(明治28年)10月28日 - 浪岡尋常高等小学校王余魚沢分教場発足。 1922年(大正11年) - 現在地に校舎を建設。標高147m地点。 1948年(昭和23年)3月31日 - 浪岡町立王余魚沢小学校として児童数83人で独立校となる。 1954年(昭和39年) - 浪岡ダム建設の影響で児童数89人と最高となる。 1989年(昭和63年) - 新校舎完成。 2004年(平成16年)3月31日 - 休校。児童数は1桁となっていた。 2005年(平成17年)3月16日 - 王余魚沢小学校を廃止し青森市立浪岡南小学校と統合する学校設置条例改正案が出されたが、浪岡町と青森市の合併問題から反対意見が多数出たため議長裁決で否決。

creative commons(wikipedia:青森市立王余魚沢小学校

青森市営野球場

青森市営野球場(あおもりしえいやきゅうじょう)は、青森県青森市の合浦公園内にある野球場。愛称 合浦公園スタジアム(がっぽこうえん-)。施設は青森市が所有し、スポーツネット青森が指定管理者として運営管理を行っている。 青森市内には1933年、青森市新田(フェリー埠頭付近、当時の資料では沖館となっている)に建てられた青森野球場があった。その地には後に「青森野球場跡の碑」が設置された。戦後、市内合浦にあった旧青森県立青森中学校(現青森県立青森高等学校)が移転したのに伴い、その跡地に市営球場が新設される事となり、1950年に完成した。以後、高校野球などアマチュア野球の公式戦が行われている他、かつてはプロ野球公式戦も開催された。 老朽化が進んでいたが2000年に全面改修され、スコアボードが電光化されるなどし、6月16日に供用を再開。同時に一般公募により愛称「合浦公園スタジアム」が付与された。 改修以降は、青森県営野球場に代わって、全国高等学校野球選手権青森大会の開会式・閉会式と準々決勝以降の主要試合が行われるメイン会場となっている。

creative commons(wikipedia:青森市営野球場

青森市営球場

『青森市営野球場』より : 青森市営野球場(あおもりしえいやきゅうじょう)は、青森県青森市の合浦公園内にある野球場。愛称 合浦公園スタジアム(がっぽこうえん-)。施設は青森市が所有し、スポーツネット青森が指定管理者として運営管理を行っている。 青森市内には1933年、青森市新田(フェリー埠頭付近、当時の資料では沖館となっている)に建てられた青森野球場があった。その地には後に「青森野球場跡の碑」が設置された。戦後、市内合浦にあった旧青森県立青森中学校(現青森県立青森高等学校)が移転したのに伴い、その跡地に市営球場が新設される事となり、1950年に完成した。以後、高校野球などアマチュア野球の公式戦が行われている他、かつてはプロ野球公式戦も開催された。 老朽化が進んでいたが2000年に全面改修され、スコアボードが電光化されるなどし、6月16日に供用を再開。同時に一般公募により愛称「合浦公園スタジアム」が付与された。 改修以降は、青森県営野球場に代わって、全国高等学校野球選手権青森大会の開会式・閉会式と準々決勝以降の主要試合が行われるメイン会場となっている。

creative commons(wikipedia:青森市営球場

青森市立浦町中学校

青森市立浦町中学校(あおもりしりつ うらまちちゅうがっこう、英文: Uramachi Jr. High School)は、青森県青森市中心市街地東部を主な学区とする公立中学校。 学校のシンボルには勝利の女神であるサモトラケのニケを用いている。ニケ神像は校章のデザインにも用いられている。 全校生徒数は450人程度であり、特別人数が多いわけではない。付近にはみちのく銀行の本店があるように、市街地の学校である。 校舎は新しく、校庭なども綺麗に整備してあるので、全体的に過ごしやすい環境であるといえる。各種検定にも積極的である。 平成21年度で、創立50周年を迎える。同年の生徒総会の結果を元にシンボルマークが作られ、様々な場面で使われている。例えば、シンボルマークをデザインした旗が作られたり、夏季中体連時には全校生徒のニケシャツ(半そでシャツ)の右袖にシンボルマークのワッペンがつけられたりして活用されている。

creative commons(wikipedia:青森市立浦町中学校

青森市立南中学校

青森市立南中学校(あおもりしりつ みなみちゅうがっこう)は、青森県青森市緑二丁目にある公立中学校。 青森市の友好提携都市であるケチケメート市のアラニ・ヤノーシュ中学校と友好提携している。 野脇・第一の両中学校の合併で誕生した。もともと、野脇中学校の在籍数が増加しすぎたため第一中学校を分離独立したものが、再編された。 2004年度から2学期制を青森市立浜田小学校と共に導入している。これは青森市内の中学校としては初の試みであった。2015年度の生徒数は707人であり、これは市内一の人数である。 沿革 1970年(昭和45年)4月1日 - 野脇中学校と第一中学校の統合によって開校した。現在も校舎はこの時建てられたものを使っている。 学区 本町一丁目~三丁目。安方一丁目の一部。安方二丁目。新町一丁目の一部。新町二丁目。中央一丁目~四丁目。長島一丁目~四丁目。古川一丁目の一部。古川二丁目の一部。古川三丁目の一部。八ッ役字矢作。浦町(字奥野の一部、字橋本)。浜田(字玉川の一部、字豊田の一部)。桂木一丁目~四丁目。緑一丁目~三丁目。

creative commons(wikipedia:青森市立南中学校

青森市立沖館中学校

青森市立沖館中学校(あおもりしりつ おきだてちゅうがっこう)は、青森県青森市にある公立中学校。 EM活動 沖館川は非常に汚れた川として地元で知られているが、沖館中学校を含む沖館川流域の小中学校の生徒が浄化活動を行っている。 その他 学区内には青森市森林博物館(旧青森営林局庁舎)がある。 沿革 1947年(昭和22年)4月21日 - 創立。 1984年(昭和59年)- 現校舎設立。 学区 篠田1丁目の一部。篠田3丁目。柳川1丁目の一部。柳川2丁目。千刈2丁目の一部。石江(字岡部の一部、字三好の一部)。沖館1~5丁目。富田1~3丁目。富田4丁目の一部。富田5丁目。新田1、2丁目。新田3丁目の一部。新田字扇田。三好1丁目の一部。

creative commons(wikipedia:青森市立沖館中学校

青森市森林博物館

青森市森林博物館(あおもりししんりんはくぶつかん)とは、青森県青森市柳川2丁目にある、森林に関する総合博物館。建物は旧林野庁青森営林局(現・青森市役所柳川庁舎)庁舎(ルネッサンス様式の木造洋風建築。明治41年築)。館内は、博物館向きに改装されているが、特別に復元されている営林局長室は、かつて映画「八甲田山」のロケが行われた場所でもある。展示は、一階が木と森について、森林の生態、森林と人間のかかわりなどをテーマにした展示室、二階は、山スキー、青森ヒバについての展示室がある。また、敷地内に、木材加工の体験コーナーと森林鉄道保存館がある。 特徴のある展示 青森市森林博物館は元は岩手県と宮城県を管区とする青森営林局の旧庁舎であり、この旧庁舎は日本三大美林の1つに数えられる青森ヒバ林を使って1908年(明治41年)に建設された。営林局が新庁舎に移転したのを機に森林博物館となる。館内には森の生態系をパネルで紹介するコーナーをはじめ、木材加工技術、伝統的な林業用具、日本最初の森林鉄道を紹介・展示するコーナーが数多く存在する。

creative commons(wikipedia:青森市森林博物館

青森市立鶴ヶ坂小学校

青森市立鶴ヶ坂小学校(あおもりしりつ つるがさかしょうがっこう)は、かつて青森県青森市鶴ヶ坂字田川にあった公立小学校。 鶴ヶ坂はかつての旧青森市と旧浪岡町の境界に位置する山中の台地上の土地であるが、国道7号線が走っていたため、交通の要所としてそれなりに商店もあり、人も多くいた。ところが昭和62年に鶴ヶ坂バイパスが山中に出来てしまったため、その影響で商店が少なくなった。そのため、住民も減少しそれが児童数にも直撃し、平成7年には児童数が45人いたものが平成17年には児童数が8人まで著しく減少し、、2009年3月をもって閉校された。 沿革 1879年(明治12年)7月17日 - 「鶴ヶ坂小学」創立。 1883年(明治16年)4月 - 清水に校舎を設置し書類上は戸門小学(のち:青森市立戸門小学校)と合併するものの、実際には合併は行われず。 1884年(明治17年)4月 - 「戸門小学鶴ヶ坂分教場」に。 1888年(明治21年) - 「戸門簡易小学校鶴ヶ坂分教場」に。 1891年(明治24年) - 独立校舎1教室新築。

creative commons(wikipedia:青森市立鶴ヶ坂小学校

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