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地方公共団体・全国地方自治体一覧 - 地域広報サービス

日本全国の地方公共団体・地方自治体一覧。
全国の基礎自治体・広域自治体と特別地方公共団体(広域連合組織・広域行政組合などの広域行政機関)の一覧と所在・地図、並びに各地方公共団体の概要、及び各地域の生活・ビジネス情報など。

地方公共団体の各ページへは、左列の「都道府県メニュー」または「サイトマップ」での各地方公共団体一覧をご利用下さい。

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日本の地理

日本の総人口:127,767,994人(「国勢調査」平成17年10月1日)
日本の総面積:377,946.51km2(「国土地理院」平成21年)
※利用内訳(「総務省統計局」平成19年)
森林:66.4%/農用地:12.5%/宅地:4.9%/道路:3.5%/水面・河川・水路:3.5%/その他:9.1%

日本の海岸線:33,889km(海上保安庁)
日本の最東端:南鳥島(東京都)
日本の最西端:与那国島(沖縄県)
日本の最南端:沖ノ鳥島(東京都)
日本の最北端:択捉島(北海道)

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愛知県豊橋市【地方公共団体・地方自治体】

豊橋市 (地方公共団体・全国の地方自治体)

このページは、愛知県豊橋市の紹介です。

愛知県豊橋市のホームページ

豊橋市 概要・地域の情報やトピック

豊橋市

豊橋市(とよはしし)は、愛知県の南東部にある都市。東三河地区の中心都市であり、同地区の人口の約半数を占める。中核市に指定されている。 中世から江戸時代まで市の中心部は吉田(よしだ)と呼ばれていた(吉田という地名は全国各地にあったため、三州吉田と呼ばれることが多かった)。 吉田は豊川と朝倉川の合流地点であり、渥美郡、宝飯郡、そして八名郡の境目に当たる。江戸時代には 吉田藩の城下町、吉田宿の宿場町、豊川水運で栄えた湊町であった。明治2年6月(1869年)の版籍奉還で、吉田から豊橋に改称した。 市徽章は、江戸時代末、吉田城に8代君臨した長沢・松平・大河内(ながさわ・まつだいら・おおこうち)家が用いていた馬印を横から見た形の千切(ちぎり)である。 市民は、「豊橋」を「とよはし」と発音することが多い。またしばしば音が落ちて、「とよあし」と発音されることもある。 東三河の人口の過半数を占める中核市であり、国勢調査推計人口は2013年9月1日現在愛知県第4位。2013年(平成25年)9月1日に発表した外国人登録人口は1万4108人。

creative commons(wikipedia:豊橋市

豊橋市民病院

豊橋市民病院(とよはししみんびょういん)は、愛知県豊橋市にある市立の病院である。市民からは「市民病院」と呼ばれることが多い。救命救急センターを備えており、東三河の基幹病院としての役割を担っている。またこの地域の地域がん診療拠点病院でもある。 以前は同市松葉町にあったが、1996年に現在の場所に移転。跡地には「こども未来館(ココニコ)」が建てられた。病院敷地内には豊橋市立看護専門学校が併設されている。 3次救急を担う東三河南部診療圏の基幹病院であり、利用者の70%が豊橋市民である。1日当たり約2,400人の患者が訪れる。 深刻な医師不足から、精神科・神経科の入院・外来業務が休止になった。 沿革 1888年 - 私立豊橋慈善病院として開院。初代院長は松井春泉。 1902年 - 社団法人豊橋医院となる。 1932年 - 豊橋市が社団法人豊橋医院を買収。市立豊橋病院とする。 1949年 - 南病棟、結核病棟、手術室、給食場を増改築。 1950年 - 愛知県より総合病院としての認可を受ける。 1951年 - 名称を「豊橋市民病院」と変更。

creative commons(wikipedia:豊橋市民病院

豊橋市立石巻中学校

校名=豊橋市立石巻中学校
過去校名=祥南中学校・双和中学校
国公私立=公立学校
設置者=豊橋市
併合学校=
設立年月日=
建学の精神=
校訓=自主共同・進取創造・質実剛健
教育方針=
創立記念日=
共学・別学=男女共学
分校=
郵便番号=441-1151
所在地=愛知県豊橋市石巻本町字出口1番地
電話番号=0532-88-0006
FAX番号=0532-87-1010
豊橋市立石巻中学校(とよはししりついしまきちゅうがっこう)は愛知県豊橋市石巻本町にある公立学校 公立中学校。
校訓は「自主共同・進取創造・質実剛健」。中学学区 校区は玉川・豊橋市立西郷小学校 西郷・嵩山・石巻・賀茂の5つの小学校区から成っており、豊橋市内の中学校の中で最も広い学区 校区をもち、生徒の8割以上が自転車通学をしている。

creative commons(wikipedia:豊橋市立石巻中学校

豊橋市立吉田方中学校

校名=豊橋市立吉田方中学校
国公私立=公立学校
設置者=豊橋市
校訓=自主・勤労・礼儀
共学・別学=男女共学
郵便番号=441-8006
所在地=愛知県豊橋市高洲町字長弦73番地1
電話番号=0532-31-4887
FAX番号=0532-34-1682
豊橋市立吉田方中学校(とよはししりつよしだがたちゅうがっこう)は愛知県豊橋市高洲町にある公立学校 公立中学校。
吉田方中学校校区は、市内でも珍しく、豊橋市立吉田方小学校 吉田方小学校区の1つだけで成り立っている。
2年生の夏に、生徒がカヌーを作り、#手作りカヌー体験(2年) カヌー体験実習をするのが特徴。
総合学習で学校からほど近い、豊川(とよがわ)の環境などに関して接することが多い。
吉田方校区内では住宅地化が進み、吉田方小学校の生徒数が年々増え教室数が限界に達したため、市は地元住民との話し合いの結果、小学校に隣接していた中学校を高洲町に移転させ、移転前の中学校校舎などは再整備した上で、移転後に小学校校地として編入することになった。

creative commons(wikipedia:豊橋市立吉田方中学校

豊橋市公会堂

豊橋市公会堂(とよはししこうかいどう)は愛知県豊橋市今橋町にある施設。式典や講演会等、各種イベントに利用されている。
建物は「ロマネスク様式」と呼ばれる物で、中村與資平(1880~1963)が設計。鉄筋コンクリート造りの近代的建築物の発祥とも言われる。スペイン風の円形ドームは、スパニッシュ・コロニアルリバイバルという1910-20年代にカリフォルニアで流行したスタイルを模倣したものである。これは、スペインが、メキシコ、カリフォルニアを統治していた時代の建築様式の復興を試みたものをいう。(参考文献:伊藤晴康「豊橋市公会堂の意匠におけるスパニッシュ・コロニアルリバイバルの影響について」豊橋創造大学短期大学部研究紀要第19号 2002年)

creative commons(wikipedia:豊橋市公会堂

豊橋市立青陵中学校

豊橋市立青陵中学校(とよはししりつ せいりょう ちゅうがっこう)は、愛知県豊橋市牛川町にある公立中学校。 沿革 1947年(昭和22年)4月 豊橋市立牛川小学校に本部を置く豊橋市立北部第二中学校(牛川小、下条小)を設立。 1947年(昭和22年)4月 豊橋市向山町中畑の工兵隊跡を本部に豊橋市立東部中学校(東田小、岩田小、多米小)を設立。 1948年(昭和23年)9月 市立北部第二中と市立東部中を統合して、現在の校地に豊橋市立青陵中学校を新設。 1950年(昭和25年)4月 当中学校より、豊橋市立豊岡中学校(岩田小、多米小)が分離独立。 1952年(昭和27年)4月 当中学校に旭小が加わり、旭町東部・東新町が豊橋市立豊城中学校より編入。 1957年(昭和32年)4月 新川小向山分教場(向山小)新設により、瓦町・東瓦町が豊橋市立中部中学校へ編入。 1978年(昭和53年)4月 鷹丘小が新設され、当中学校へ。 1997年(平成9年)4月 当中学校より、豊橋市立東陵中学校(鷹丘小)が分離独立。 校地 かつてこの場所に1926年(大正15年)4月以来、愛知県立豊橋第二中学校(現・県立豊橋東高校)(ナンバースクール)が有った(当時は八名郡下川村)。

creative commons(wikipedia:豊橋市立青陵中学校

豊橋市立東田小学校

豊橋市立東田小学校(とよはししりつ あずまだしょうがっこう)は愛知県豊橋市仁連木町にある市立小学校。平成18年4月現在で、471人の児童が在籍している。 明治5年(1872年)田尻学校勧善分校の名で「全久院」{永正11年(1514年)戸田憲光が亡父戸田全久(宗光)追善供養のため開基した寺}の寺子屋が改名して開校。 明治25年(1892年)渥美郡豊岡村の東田字西前山(現在、豊橋市前畑町)へ移転。その頃の名は豊岡尋常小学校である。 明治39年(1906年)当校のある豊岡村が花田村と共に豊橋町と合併し(7月15日)、半月後豊橋市となる{8月1日(八朔)}。それに伴い、校名を豊岡尋常小学校から豊橋市東田尋常小学校へ改名。 昭和16年(1941年)東田国民学校へ改名。 昭和20年(1945年)6月19日 学校が豊橋空襲で全焼。 昭和22年(1947年)学校教育法により、現在名である豊橋市立東田小学校に改名。 昭和23年(1948年)豊橋市旭町(現在の豊橋市立旭小学校の地)へ移転。 昭和26年(1951年)全校児童2千人を超す。 昭和27年(1952年)豊橋市立東田小学校は校区の一部を豊橋市立旭小学校へ分割し、豊橋市立商業学校(現在の豊橋市立豊橋高等学校の前身)跡地へ移転。

creative commons(wikipedia:豊橋市立東田小学校

豊橋市立旭小学校

豊橋市立旭小学校(とよはししりつ あさひしょうがっこう)は、愛知県豊橋市内旭町にある公立小学校。愛知県道・静岡県道4号豊橋大知波線(電車道)の北側にある。 沿革 1951年(昭和26年) - 豊橋市立東田小学校の全校児童が2千人を突破し、分割の方針となる。 1952年(昭和27年) - 東田小学校は分割して豊橋市立商業学校跡へ移転。 同年 - この旭町の地に豊橋市立旭小学校が上述の豊橋市立東田小学校から分割した地域と豊橋市立八町小学校から校区変更で編入された地域を校区として成立開校。 1956年(昭和31年) - 豊橋市立旭小学校は全校児童1,544名となり児童数が最大となる。 2004年(平成17年) - あおぞら学級が新設される。 詳細 学校への最寄りの交通機関は豊橋鉄道市内線東田本線の前畑電停である。 豊橋市内では古く伝統ある豊橋市立東田小学校の校区から分割された地域と、豊橋市立八町小学校から校区変更となり編入された地域を校区とする。

creative commons(wikipedia:豊橋市立旭小学校

豊橋市民球場

豊橋市民球場(とよはししみんきゅうじょう)は、愛知県豊橋市の岩田運動公園内にある野球場。施設は豊橋市が所有し、豊橋市体育協会が指定管理者として運営管理を行っている。 概要・歴史 1980年開場。同年以来高校野球などアマチュア野球公式戦が行われている。なお、豊橋市には豊橋公園内に1948年開場の市営球場(『豊橋球場』)が存在する。こちらではプロ野球公式戦は開催されない。 プロ野球では主に中日ドラゴンズ主催のオープン戦が概ね年1試合、ウエスタン・リーグ(二軍)公式戦が年数試合開催されてきたが、2001年には照明設備やフェンスの改善など大規模な改修を行い、2002年4月17日にはセ公式戦・中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦が開催された。豊橋市内でプロ公式戦が行われたのは1955年7月13日に開催された中日ドラゴンズ対大洋ホエールズ戦以来、実に47年ぶりのことであった。これを機に翌々年の2004年以降からは公式戦が毎年1試合組まれるようになった(2004年は雨天中止)。 本球場の試合は距離の近い浜松市中区の浜松球場と連日での日程が組まれる事が多い。

creative commons(wikipedia:豊橋市民球場

豊橋市立大村小学校

豊橋市立大村小学校(とよはししりつおおむらちゅうがっこう)は愛知県豊橋市にある公立小学校。 データ 児童数 223人 開校年 1947年 韓国との国際交流が盛ん。 言葉 力いっぱい明日を生きる子 所在地 愛知県豊橋市大村町池の神9番地 出身有名人 武雄山喬義(大相撲力士・最高位は東前頭筆頭) 関連項目 愛知県小学校一覧 外部リンク 豊橋市立大村小学校。

creative commons(wikipedia:豊橋市立大村小学校

豊橋市二川宿本陣資料館

『』より :

creative commons(wikipedia:豊橋市二川宿本陣資料館

地域広報サービス - Public Relations Services - Proamics では、日本全国の地方公共団体(地方自治体)をリストアップして、地方公共団体(地方自治体)、並びに特別地方公共団体、広域連合・組合などの一覧、及び各々のホームページなどを紹介します。


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